東京国立近代美術館で「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」に行く。会期最終日。ゴールデンウィーク最終日ということもあり、チケット売り場には列が。
世にもてはやされるアーティストの周りには、ギャラリストやクリティークがいるものだけれど、Jackson PollockにおけるClement Greenbergもまたそういう存在だった。僕が気になってしまったのは、その点だった。当時Pollockのペインティング、そして技法として取り入れられた"Pouring"は、美的に邪道だと評する人たちがいた。そんな中でGreenbergはこんなことを言ったらしい。
“In Pollock there is absolutely none [self deception], and he is not afraid to look ugly—all profoundly original art looks ugly at first”
本当にオリジナルなものは最初は醜いものであると。Picasoの画集を見て、「すべて先にやられちまった」と、その画集を壁に投げつけていたらしい。ずっとPicasoが目の上のタンコブだったPollockは、ついに自分で作ったルール、つまり"Pouring"で戦うことができた。ただ、やっぱり「大衆」まで、この概念をどう浸透させるかということ抜きには、Pollockがスゴイとかなんとか語れない。アーティストがクリティークを育てるのか、クリティークがアーティストを育てるのか。どっちがどうなのか、よく分からないけれども、いずれにせよPollockよりGreenbergに注目したい展覧会だった。
何か世に生まれる時は、そこに色んなチカラが働いている。



